沖縄本島南部は、東南アジア方面への正面玄関です。そのため本島の中でも多くの船が行き来する地域として、とくに賑わいました。しかし、いざ戦いになると矢面に立たされた地域でもあり。沖縄戦の悲劇の傷跡が、あちこちに点在しています。

ひめゆりと沖縄戦の痕跡を訪ねる

ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館

ひめゆりの塔第二次世界大戦末期の沖縄戦は、「鉄の暴風雨」と呼ばれるほどの激しい攻撃にさらされ、沖縄の人々は悲惨な体験をしました。その象徴とされるのが、ひめゆり部隊の悲劇です。
1945年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸して沖縄戦が始まると、女学生たちは看護要員として動員されました。その中でも沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の女学生と引率の先生から成る一団をひめゆり部隊と言います。ひめゆりの名前は沖縄県立第一高等女学校の広報誌『乙姫』と沖縄師範学校女子部の広報誌『白百合』を合わせたものです。
ひめゆり部隊は洞窟(ガマ)の中に設置された沖縄陸軍病院で負傷兵の世話や、亡くなった兵隊を埋める仕事などにあたっていました。しかし、アメリカ軍が迫ってきた6月のある日突然、解散を言い渡されます。日本軍としてはもう守ってやることができないので、あとはそれぞれ自力で生きてほしいということだったのでしょう。学徒と先生は飛んでくる砲弾や銃弾、空から降ってくる焼夷弾の間をかいくぐり、岩陰に隠れたり、森に潜んだりして逃げ惑いました。最終的に学徒222人と先生18人のうち、学徒123人、先生13人が犠牲となりました。
戦後、亡くなった学徒の父母が洞窟に小さな供養塔を建てたのがきっかけとなり、生き残った人や篤志家により、亡くなった人々の名前を刻んだひめゆりの塔が建てられました。ひめゆりの塔のすぐ近くにはひめゆり平和祈念資料館があり、沖縄戦の悲惨さを物語る資料が数多く展示されています。

【アクセス】那覇から「糸満」行きのバスに乗る(約30分)。「糸満」から82・107・108のバスで約15分、「ひめゆりの塔前」下車。
【TEL】098-997-2100(ひめゆり平和祈念資料館)
【住所】沖縄県糸満市伊原671-1
【時間】9:00〜17:30(入館は17:00まで)
【休】年中無休
【HP】ひめゆり平和祈念資料館

平和祈念公園・沖縄県平和祈念資料館

沖縄平和祈念堂主戦地であった首里戦線を維持できなくなった日本軍は、1945(昭和20)年5月27日、司令部を首里から摩文仁(まぶに)の洞窟に移しました。この摩文仁の丘が、沖縄戦の中心地にあたります。日本軍の兵士の数はアメリカ軍の2割ほどの3万人しかおらず、しかもその大部分は訓練を受けていない者たちでした。激しい攻撃を続けるアメリカ軍の前に日本軍はなす術なく、6月23日に日本軍司令官の牛島満(うしじま みつる)中将と長勇(ちょう いさむ)参謀長は割腹自殺をしました(22日未明とする説もあります)。これ以降も戦闘は続き、多くの犠牲者が出たものの、このふたりの死によって、一応、沖縄戦は終わったと見ることができます。
摩文仁の丘全体が平和記念公園となっており、その一角に沖縄県平和祈念資料館があります。沖縄戦に関する資料が数多く展示されています。

平和祈念公園の記念碑と堂

【黎明の塔】日本軍司令官の牛島満中将と長勇参謀長の霊が祀られています。塔の下には、ふたりが所属した第32軍の軍司令部が置かれた洞窟があります。
【島守の塔】戦争犠牲となった島田叡沖縄県知事や荒井退造警察部長ら、391名の沖縄県職員が合祀されています。
【健児の塔】沖縄県立男子師範学校長と学徒隊の霊が祀られています。
【各県の慰霊塔】みちのくの塔(青森県)、岩手の塔など全国の自治体にまつわる塔が点在しています。
【沖縄平和祈念堂】7つの大陸、7つの大洋を象徴する7つの辺のある建物です。堂内には沖縄県出身の彫刻家、山田真山による平和祈念像が置かれています

沖縄県平和祈念資料館

【アクセス】那覇から琉球バス89番糸満線に乗車し、「糸満バスターミナル」で下車。琉球バス交通82番玉泉洞・糸満線に乗り換え、「平和祈念堂入口」で下車。
【TEL】098-997-3844(沖縄県平和祈念資料館)
【住所】沖縄県糸満市字摩文仁614-1
【時間】9:00〜17:00(常設展示室への入室は16:30まで)
【休日】年末年始(12月29日から1月3日)、臨時休館あり
【HP】沖縄県平和祈念資料館
※平和祈念公園は8:00〜22:00まで立ち入りでき、無休です。

旧海軍司令部壕

旧海軍司令部壕日本軍の沖縄方面根拠地隊の司令部が置かれていた壕の跡です。縦横にトンネルが掘られ、司令室、医務室、衣糧庫、居住区などが設けられています。資料館も併設されており、手紙を読むと、戦争末期の軍人たちの気持ちが如実に伝わってきます。なお、最高指揮官の大田実少将は1945年6月13日に部下の参謀たちとともに自決しましたが、その数日前、沖縄県民が家を焼かれ、砲弾の中に身をさらしながら、黙々と軍に協力してくれたことを海軍次官あてに打電し、沖縄県民に特別の配慮を願っています。人民に対して威丈高に接する軍人と対照的な、心の優しい人物でした。
壕の上には海軍戦没者慰霊の塔が立っており、玉砕した4000名の将兵の霊が祀られています。

【アクセス】◎県庁南口または北口のバス停などからバスに乗り、「宇栄原団地前」下車、500m。
◎車で那覇空港から17.7km。平和祈念公園から10km。ひめゆりの塔から6.5km。
【TEL】098-850-4055(沖縄観光コンベンションビューロー旧海軍司令部壕事業所)
【住所】沖縄県豊見城市豊見城236
【時間】
7月〜9月 8:30〜17:30
10月〜6月 8:30〜17:00
【休日】年中無休
【HP】旧海軍司令部壕

喜屋武(きゃん)岬

喜屋武岬喜屋武岬は沖縄本島の南端に位置する岬です。断崖は険しく切り立っており、沖縄戦では追い詰められた多くの人々がここから海に身を投じました。現在では断崖の上に灯台が立ち、岬の突端には平和の塔が立てられています。一見すると美しい景勝地ですが、実は悲しい歴史が刻まれています。なお、喜屋武岬は東シナ海と太平洋を分ける分岐点ともなっています。

【アクセス】◎「喜屋武」下車、徒歩1.7km。
※下記の沖縄陸軍病院 南風原壕群20号も「喜屋武」だが、同名で場所が違うので注意。
◎車で那覇空港から5km。平和祈念公園から13.5km。ひめゆりの塔から13km。

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沖縄陸軍病院 南風原壕群20号

1944年10月10日、那覇にあった陸軍病院は消失し、南風原国民学校に移りました。その後、黄金森周辺の地下に壕がつくられましたが、国民学校が戦火で焼けると、病院は壕の中に移りました。病院には2000人以上の患者が収容され、約450名の医師や看護師とともにひめゆり部隊も働いていました。戦争末期、患者は青酸カリや手榴弾により、自決させられたと伝わっています。壕の多くは完全な形で残っており、ジオラマや資料が展示され、悲惨な沖縄戦を語り継ぐ学習施設となっています。

【アクセス】◎「喜屋武」下車、350m。
※上記の喜屋武岬とは、同名で場所が違うので注意。
◎車で那覇空港から12km。平和祈念公園から13km。ひめゆりの塔から15km。
【TEL】098-889-7399(南風原町立南風原文化センター)
※事前の予約が必要です。
【住所】沖縄県島尻郡南風原町字喜屋武
【時間】9:00〜17:00(入館は16:30まで)
【休日】水曜日、12月29日〜1月3日
【HP】南風原町観光協会「沖縄戦と平和を学ぶ旅」

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